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太宰春台

太宰春台(1680年〜1747年)は、県歌「信濃の国」の第五章節に「春台太宰先生」と詠まれるほか、「下伊那の歌」「飯田高校校歌」でも歌われる飯田出身の儒学者です。
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32歳、江戸で荻生徂徠の門下生となり36歳のとき私塾紫芝園を開いて多くの門人に対して熱心な教育を行ないました。
太宰春台は儒学の「経世済民(国を治め民を救う)」の意義を追求して「経済こそが政治の中における基本的な要素である」と力説し、50歳のとき『経済録』を著しました。経済を学問的に体系化して施策の具体的指針を示したことにより、後世の日本の経済学や政治学、柳田国男らにも大きな影響を及ぼし偉大な貢献をしたといわれていることは余り知られていません。
主著である『経済録』巻7には、「百工は国の宝なり、古より国家を経営する人は百工を招来することを務とす」とあり、島国として資源に乏しいわが国では、技術力を高めていく必要性があると示されています。
このみなみ信州に、こうした偉大な先人がいることを再発見しながら、この地方の経済自立度の課題を考えてみたいと思います。ふだん何気なく使っている「経済」をもう一度考えてみるのもいかがでしょうか?

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