高森町の松源寺で12年間をすごした亀之丞(井伊直親)

亀之丞のものと伝えられる青葉の笛(レプリカ・高森町資料館)

亀之丞のものと伝えられる青葉の笛(レプリカ・高森町資料館)

亀之丞が飯田の一子に残したと伝えられる短刀とその袋(個人蔵)

亀之丞が飯田の一子に残したと伝えられる短刀とその袋(個人蔵)

2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場する亀之丞(井伊直親)は、遠州(静岡県)の井伊家23代当主で、物語の主人公である直虎(直虎は22代当主直盛の一人娘)の許嫁でした。
今川義元に命を狙われていた亀之丞は、遠州井伊谷(いいのや)から、高森町の松源寺に逃げ、9歳~20歳までの12年間を過ごしました。
当時、高森地域一帯を治めていた松岡氏(松源寺)は井伊氏とつながりがあったからです。
松岡氏と井伊家とのつながりは、井伊家20代の城主・井伊直平が文叔瑞郁禅師を自浄院(後の龍潭寺)の院主に迎えたのが始まり。文叔瑞郁禅師は、松岡城主・伊予守貞正の実弟で、松源寺や龍門寺(飯田市松尾)を開山した名僧です。
その縁から、現在でも浜松市井伊谷と高森町との交流は続いています。
亀之丞は、松源寺の住職から学問を教わり、松岡城のさむらいたちから武術や弓馬の稽古をつけられて育ちました。
その間の事情を知らない亀之丞の許嫁は、出家して「次郎法師」と名乗りました。
青年期に入った亀之丞は「青葉の笛」を手にすることも多くなり、故郷を偲んで奏でる愛笛の音が響き渡りました。また、笛を教えてもらったお千代とは深い仲になり、一子を儲けたとのお話も伝えられています。
20歳になった亀之丞は井伊谷に戻り、井伊直親を名乗り、嫡子虎松(後の直政)を儲けますが、27歳で非業の死を遂げてしまいます。
そこで、出家していた次郎法師が幼少の虎松を後見し、おんな城主虎松として井伊家の舵取りをしました。
直虎は、今川家からの井伊谷徳政令の要求に対して示した政治的手腕は優れていて、歴代当主に記名はありませんが、井伊家受難の時代を救った人物であることは確かです。
直虎は、身を隠していた虎松(後の直政)を天正3年(1575)浜松城主の徳川家康に仕えさせます。
家康に仕えた直政は幾たびの戦いで功績をあげて「徳川四天王」と称され、徳川幕府の基礎づくりに大きな貢献をしました。関ヶ原の戦いで勝利した家康は「天下を争う大戦度々先鋒として勝利を得ること誠に開国の元勲なり」と直政の活躍を称えました。
こうした直政の活躍により、井伊家は再興を果たしました。

※佐藤清志理事の協力により作成しました。

松源寺


高森町歴史民族資料館


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