重要な遺産が残る"開善寺"・周辺には古墳群(飯田市竜丘地区)

山門

山門

霊明屈の掲額

霊明屈の掲額

吼雲桜

吼雲桜

平成28年10月に国指定史跡として"飯田古墳群"が登録されました。飯田市の竜丘地区はその古墳の半数近くを占めています。
竜丘地区に現存する古墳は30基余りですが、かつては140基もの古墳があったことが記録されています。
飯田下伊那地区の古墳数は約680基なので、竜丘地区は古墳分布密度が最も高い地域といえ、かつての繁栄が伺えます。
そんな古墳群の中にある"開善寺"は、一般に建武2年(1335年)小笠原貞宗が中国の僧・清拙正澄(せいせつしょうちょう)を招いて創めたとされていましたが、寺の文書資料では、それより古く鎌倉時代末期の創建とあり、歴史あるお寺です。
その開善寺には古くて重要な遺産がたくさん残されています。平成5年6月に国指定の重要文化財に指定された「絹本著色八相涅槃図」(けんぽんちゃくしょくはっそうねはんず)は、寺に保存されている涅槃図二面のうちの一つです。八相図では全国に八つしかないものの一つで、非常に価値の高いものです。
掛け軸の大きさは150×300㎝で保存状態も良く、鎌倉時代の作品とは思えない鮮やかな色彩です。涅槃図とはお釈迦様が亡くなるときの様子を描いた絵で、「八相というのは、一幅の絵の中にお釈迦様の生前と、亡くなるときと、亡くなったあと火葬にされて、やがて月の世界へのぼっていくという八場面を表していることをいいます。
寺の最初の門には山岡鉄舟の書いた「霊明窟」(れいめいくつ)が掲額されています。「霊明窟」は本堂のことを意味します。
また山門は、室町初期のもので「瑠璃閣」と呼ばれ、元禄8年(1695)老松が倒れて二階部分を破壊、今は階下の部分だけですが国の重要文化財の指定を受け、昭和36年に大規模な解体修理が行われています。
鐘楼「吼雲楼」(こううんろう)も貴重なもので、初代の鐘は、織田軍の高遠攻めの際持ち去られ、現在、高遠の桂泉院にあります。
境内には苔生す(こけむす)「般若苑」(はんにゃえん)、裏山の「飛来峯」(ひらいほう)、前庭の牡丹苑・藤棚など、四季折々の顔をみせ、地元住民の憩いの場ともなっています。

※熊谷和郎理事の協力により誌面を作成しました

【所在地】飯田市上川路1000

行こう!みなみ信州

  • 行こう!みなみ信州 トップ
  • みなみ信州MAP
  • ふるさと再発見
    月別に見る
ページTOPへ