市田柿原木の地

市田小学校の教師であった武田彦左衛門の『市田柿について』(昭和18年刊)
に記載された「神木焼柿の古木」こそ、〝市田柿の原木〟といわれています。
昭和18年当時、その古木の樹齢は約150年以上とあり、
ちょうど1800年初頭、下市田に伊勢社が祀られた頃からあると考えられます。

その伊勢社の伊勢屋敷に住んでいた三州田原藩の元藩士児島礼順高智は、
秋に実ったその柿を伊勢社へ供えた後、
寺小屋の寺子と一緒に焼いて食べたそうです。
それは「焼柿」と呼ばれておいしいと評判になり、接ぎ木によって村内へ広まりました。

その後、柿の商品化に努めた上沼正雄・鉄男親子らの生涯にわたる尽力により、
「焼柿」から「市田柿」へ改称され、戦後、東京や名古屋の市場進出を果たしました。


鎌倉時代、日蓮聖人から伊賀良の四条金吾に送られた御礼状に
「串柿」と記されているように、鎌倉時代にすでに飯田地方で栽培・加工されていた渋柿。
その生命は、多くの人々の手により大切に育まれ、生命力は衰えることなく輝きを放っています



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↑高森町下市田35番地に建てられている「市田柿原木の地」の石碑


児島礼順の名は、戒名では「麗淳」となっている↓
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