阿島祭り

阿島祭りは平安の初期、毘沙門天を小川鞍馬地籍に安置したことにより始まると伝えられています。やがて鎌倉時代の中期に毘沙門天が阿島安養寺の脇本尊として現在地に移されてより、旧暦二月一日毘沙門天の大般若法要会が「毘沙門天のお祭り」として賑わいを呼びました。後に阿島八幡宮と小園の姫宮神社の神輿が双方より渡御され、逢橋安にて出逢い、安養寺に渡御された神仏混淆の祭りとして更に賑やかに行われるようになりました。
江戸時代になり、知久則直が陣屋館を阿島に築いてから、知久氏の肝いりでさらに盛大な祭りとなり、渡御行列は騎馬武者も加え、二百五十人にも及び、このころから獅子舞、屋台も加わり竜東一の有名なお祭りになったといわれています。
明治維新後、神仏混淆禁止令が出されましたが、永い間民俗的信仰に培われた毘沙門天祭りの行事を、省略することを民情が許さず、八幡宮の祭典と毘沙門天の大般若法要会を一緒に行うこととしており、近在にも稀な神仏混淆の祭りは今も続けられています。
阿島の獅子舞は獅子頭に続く胴体の部分が約20mもあり、その中に数十人が入って獅子を動かし、「あばれ獅子」の異名の如くに舞い荒れる獅子に観客は一斉に逃げ回り、逃げる観客を追って獅子が舞い踊ります。これは、本来農耕開始の時期に当って地域内を祓い清め悪霊を鎮魂・鎮送するという民俗的行事の現れであるといわれています。

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写真=JAみなみ信州オリジナルカレンダー2013年4月掲載の阿島祭り(撮影地/喬木村阿島、撮影者/北村正男さん・飯田市松尾)

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