喬木村出身の名力士「高登」(たかのぼり)

今年の大相撲九州場所で、御嶽海(みたけうみ)は長野県出身力士としては84年ぶりに三役に昇進しましたが、その84年前の昭和7年(1932年)小結に昇進したのが喬木村出身の高登でした。
高登(本名:吉川渉さん)は、明治41年5月7日、喬木村伊久間出身の果物商・吉川鉄次郎さんの長男として東京都台東区上野で生まれました。
高登3歳のとき、父鉄次郎さんが腸チフスで亡くなったため、父の兄で、喬木村伊久間で養蚕業を営んでいた吉川円治さんにひきとられ実子同様に育てられました。
大正15年(1926年)、18歳の時に高砂親方からの誘いにより高砂部屋に入門し、昭和8年に自身の最高位、関脇に昇進し、全盛期は身長188㎝、体重120kgでした。
昭和7年10月場所は9勝2敗(当時は11日制)の好成績を残し、同点で大関清水川と並びましたが、当時は優勝決定戦制度がなく、番付上位力士の優勝となり、惜しくも高登は準優勝でした。
昭和8年は土俵人生のなかで最も充実していました。高登25歳、関脇に昇進し安定した成績を残します。大関をめざし望む大事な9年1月場所でしたが胃潰瘍の手術で全休し、いったん前頭まで番付を落としますが、その後体調も回復し、勝ち越しながら再び関脇となって迎えた10年5月場所、東関脇の新海との取組で白星をあげるものの土俵下に転落した際左ひざを強打、ひざ下の骨がとび出るほどの大けがを負ってしまいます。高登27歳、まだ伸び盛りの年齢でしたがこの負傷が命取りとなります。土俵での踏ん張る力がなくなり、取り口に精彩を欠き徐々に負け越すようになり番付も下位へ落ちていきました。初めて15日制となった昭和14年5月場所、3勝12敗と大きく負け越し引退することとなりました。
引退後は大山部屋を開設し弟子の育成やNHK解説員として活躍しました。大山親方の解説はユニークで、口に飴玉を含んでしゃべるような調子。たまにぞんざいな言葉が混じるかと思うとハイカラな英語が飛び出す、その飾り気のない話しぶりが親しまれ、物まねに登場するほどの人気がありました。
昭和37年1月19日に53歳で生涯を閉じました。
大相撲を見るとき、喬木村出身で、このような名力士「高登」がいたことを思い出してみて下さい。

※喬木村歴史民俗資料館、市瀬辰春館長・市瀬健治理事の協力により誌面を作成しました。
 
 

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