矢高諏訪神社  【所在地】飯田市鼎下山

矢高諏訪神社 拝殿

矢高諏訪神社 拝殿

参道入口にある桜の大樹

参道入口にある桜の大樹

飯田下伊那地域で最も早い秋祭りとしても知られる飯田市鼎の矢高諏訪神社は、鎌倉時代の建保二年(1214年)、当時の松尾城主 小笠原長径が松尾城の鬼門に当たる北東方角の地に諏訪大明神を勧請し、七月二十七日に祭礼を行ったことが始まりと伝えられています。その後、天正十年(1582年)織田軍の兵火により焼失し、荒れたままとなっていましたが文禄二年(1593年)、再興しました。
また、紀元二千六百年記念事業として昭和十二年(1937年)、境内を拡張整備、植林し昭和十七年から本殿、祝詞殿、弊殿、拝殿、社務所などの新築工事を始めたが、九部通り出来上がった昭和十九年二月、失火により焼失してしまいました。
現在の建物は類焼を免れた蚕玉殿の社殿を本殿とし、焼失の残材で作られたものです。
矢高諏訪神社の御祭神「建御名方命(たてみなかたのみこと)」は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の第二子で諏訪に定住し、戦いの神といわれるほか狩猟を守る山の神、農業を守る水源の神や風の神として、地元の人々の生活に深く関係し崇拝されています。
矢高神社を産土神(うぶすなのかみ)※としているのは、現在の上山、下山、上茶屋、下茶屋、中平、東鼎、西鼎で、そのうち上山、下山、上茶屋、中平区が獅子舞を、下茶屋区が太鼓を奉納する春季祭典や、各区の神輿が集まり、花火が上がる秋季祭典では地区のみなさんを中心に境内は賑やかとなります。
境内に上がる石段両脇にある2本の大きな桜は、天保初年(1830年)石段が完成したことを飯田藩主 堀親?(ちかしげ)公が見て「たいそう立派に出来たから桜の木を植えよ」と金壱封を与え植えたもので、現在も春には見事な花を咲かせ、人々と楽しませています。

※産土神...自分の生まれた土地の守り神

今回は禰宜(ネギ)の宮澤千尋さん、牧野内康裕理事の協力により紙面を作成しました。

行こう!みなみ信州

  • 行こう!みなみ信州 トップ
  • みなみ信州MAP
  • ふるさと再発見
    月別に見る
ページTOPへ